松本人志は好きですが「大日本人」はハズしそうな気がするなあ。

あんなにもったいぶって期待だけさせて大丈夫なんだろうか。
あの人の作るものって「理解できないやつはできなくていい」みたいなところがあって
それが逆に「すごく高度なことをやってる」ように見られるんですよね。
だからハズしてもいいのかもしれない。それも狙ってたかのように思わせてしまうんだろう。
そういうのって作り手としてはかなり危険ですよね。
ウケて無いのに評価だけ上がってしまうと、次に何やったらウケるのかわからなくなりませんかね。なんでもアリになってしまう。
アンディ・ウォーホルはそういうのを楽しんで利用してた人ですが松ちゃんはインタビューとか読んだ感じでは理解してくれない人に腹立ててる人ですしね。
北野武の「TAKESHIS'」見たときも思ったんですけど、なんでもアリになってしまうのって怖いですよ。
黒澤明の「夢」みたいに、頂点までいく人ってのは一度はああいうなんでもアリなのを作ってみたくなるんですかね。


モノを作る人ってのは大きく分けると2タイプあるとおもってるんですけど
イマジネーションが豊富で先にまず作りたいもの、表現したいものがあるってタイプの人は道具やジャンルの制限は無いほうがいいんでしょうね。
そういう人ってプロの中にはめったにいないと思うんですよ。ど素人か天才かですね。
だって制限のない道具なんて無いですしね。画材でもCGソフトでも楽器でもそうでしょう。
自分(人間)が作るってこと自体、ある意味制限だし。
仕事でやるなんてもっと制限が増えるんだから。それでプロになる前にやめてしまう。
プロになるどころか趣味レベルで練習してても道具の制限に不自由を感じてイヤになるでしょう。
CGの掲示板見ててもカッコいいロボットとか萌え萌えな女の子を作りたいけど、作りたいものが先走ってしまってて
ソフトがうまく使えないことに悩んでる人たくさんいますね。
だから物を作ってるほとんどの人は、基本的に「制限の中でどこまでできるか」を楽しめるタイプだと思うんです。
ただそれだけとオペレータ的なことはできるかもしれませんがクリエイティブなことはできないでしょうね。
やはり両方の資質を持ってないといけないってことでしょう。
私なんか道具が完全に自由だと何もできませんからね。絵の具も色数が多いとどれを使っていいかわからない。
だから制限だらけのCGが面白いし、音楽も独奏曲が好きでオーケストラの良さがわからない。油絵よりも水彩が好き。
だから制限無く何でも自由に作れる環境や道具を持ってる人を見てると怖いですね。怖いっていうか「怖くないですか?」って聞きたいですね。
私も一度、自分をそういう固定観念から解き放って自由に好きなものを作ってみると新しい世界が見えるのかもしれませんが。
アキラの心を覗いた鉄雄のようになってしまいそうで怖いです。