去年の夏ごろソファーで寝たら気に入ってしまい、それ以来ずっとソファーで寝てるが

先日ついにボキッという音とともに、内部の支柱が折れたのか真ん中あたりがへこんでしまった。

寝ると腰のあたりの体重がかかるところで、そこに腰が来るようにすれば普通に寝れるが、そこ以外に姿勢が動かせない。

また、他の支柱が折れるのも気になって落ち着かない

一応ソファーベッドだが、やはりソファーベッドはメインのベッドとして使うには脆い。

またソファーベッドを買う気にもならないし、同じくらいの小さいベッドはない物だろうか。

セミシングルとかスモールシングルと言うサイズは規格自体はあるようだが地元のホームセンターやインテリアショップを回っても一つも無かった。

 

それはそうと自分は親のお古の古いアルトに乗ってるが、たまたまベッドの運搬について調べてて知ったが

アルトはマニュアルには載っていないが助手席の頭の部分を外して倒せば後部座席とフラットになるのだそうだ

その記事がどの時代のアルトか載ってなかったが、まさかと思ってやってみたらなんと自分の古いアルトでもできるではないか。

知らなかった。メジャーで計ってみるとダッシュボードから後のドアまでちょうど200cm程度だ。

これなら小さいソファーやベッドなら運ぶことができる。

ビッグコミックの表紙の有名人の顔の写実的な絵は日暮修一という人が長年描いていたが、

日暮修一が無くなってからは金子ナンペイと言う人が描いていた。

この人もそれまでのビッグコミックのイメージを損なうことなくすごくうまい人だったが、

日暮修一が好きな私にとっては、少し絵としての魅力に欠けると思っていた。

私は最近のマンガ雑誌を読まないが、最近みかけるビッグコミックの表紙はちょくちょくいいと思うものがあった。

調べてみると2022年ごろから為井英貴と言う人に替わったのだそうだ。

この人は本当にすごくうまくて、いい絵だと思う。

こんなにすごい絵を描く人なのにWiikipediaのページも無いとは?

 

カムイ伝でキギスがナナを庇って初めて横目に反抗するシーンで、

キギスにお仕置きをした後の横眼のセリフ、

単行本では

「おれはお前のような奴には逆らわんようにしている」

が、ガロでは

「おれはバカとキチガイにはさからわんようにしている」

だった。

キチガイという表現に問題があって修正されたんだろうが、

「バカとキチガイ」ってあまりにもひどすぎるし安易な表現だと思うんだけど

自分は単行本のほうに慣れているせいで不自然な気もする

ちなみにこの時キギスがうなだれながら「カムイ、アニキ済まねえ」と言っているが、カムイはキギスのアニキ分ではなかったはずだ。

1巻で子供の時カムイにケンカを売ってボコボコにされて、その後も仲間になろうと誘ってタブテを紹介したりしてるが常に上から目線だったはず。

ナナに惚れたからと言って、ナナの弟でありずっと年下のはずのカムイをアニキと呼ぶのはおかしい。

カムイをアニキと慕っていたのはタブテだ。

この辺り、何度か書いているようにスタッフが入れ替わってる時期なので、脚本家がキギスのキャラを理解していないんだと思う。

そもそもキギスがナナに惚れるエピソードは必要かw

 

 

カムイ外伝カムイ伝のスピンオフ作品で、カムイが抜け忍となって逃亡中の出来事ということに一応なっているが、

四方田犬彦白土三平論を読んでいたらカムイ外伝の連載が始まったのは1965年で、

カムイ伝の方の連載で言うとタブテが死んだころ(死んでないがそう書いてある)で、

まだカムイが抜け忍どころか忍者にもなっておらず、忍者になるそぶりすらない時代なんだそうだ。

さらっと書いてあるが、リアタイムに読んでいた人にとっては何でもないことなのかもしれないが

自分にとってはものすごく意外だ。そんなこと考えたことすら無かった。

あの時点でカムイは忍者になって抜け忍になることまで決まっていたということで、リアルタイム世代はそのつもりで読んでいたということだ。

そもそも「抜け忍」とか忍者を「抜ける」なんていう概念が当時の読者にあったのだろうか

なんで1話からカムイが忍者になってて、しかも忍者に襲われてるのかと思わなかったのか?

しかも変移抜刀霞斬りを使っているが…???不思議だ

 

四方田犬彦は外伝が小山春夫の作画で始まったかのように書いてるが、私が見た感じでは初めの方は小山春夫ではないと思う。

はっきりいってあまりうまくはない絵だ。小山春夫は赤目プロに入った時点で貸本漫画家としてのキャリアもあり、他の漫画家のアシスタントの経験してるのでもっと絵が上手い。

とはいえこれがカムイらしいと言えばカムイらしい顔ではある。

あまり意識してる人が少ないようだが、よくカムイ伝の紹介に使われるこの白土三平論の表紙のカムイだってカムイ外伝のカムイだ。

荒木飛呂彦のビーティー矢口高雄の絵に影響を与えると思われるこういうグリグリ目のカムイも外伝のカムイである。

四方田犬彦カムイ伝と外伝のカムイの目の色の違いは指摘している。

これが誰の絵かわからないんだけど、池内誠一という今はゴルフ漫画で有名な人が昔は白土のアシスタントだったそうで、ガロに一度だけ作品を載せているが、その主人公がこういうグリグリ目である。

だからこれが池内誠一の絵かもしれないし、単にアシスタントをしてるから池内のほうが赤目プロのだれかに影響を受けてるだけかもしれない。

中盤の、おそらくコノマや天人のエピソードのあたりの絵は小山春夫だと思う。

この辺りは絵はいいが話がまとまりがなくつまらない。

そういう点はワタリとよく似ているというのは四方田犬彦と同じ意見だった。

 

四方田犬彦の「白土三平論」の巻末で、資料の提供と証言をもらった人への礼が書かれており、

 

その名の中に香田明子、小山春夫、佐々木守とある。

香田明子という人は知らなかったが、調べてみるとガロの編集長であった長井勝一の奥さんらしい。

小山春夫は白土作品の多くの作画を手掛けた重要なスタッフの一人である。

そして、佐々木守という人は昭和のテレビドラマ、漫画、特撮ヒーロー者の脚本で超有名な人で、何かについて調べていると、ありとあらゆるジャンルで脚本家としてこの人の名が出てくるくらい、膨大な脚本を手掛けてる人。

私は以前からこの人が白土三平ともかかわりがあるだろうと思っていた。

というのもカムイ伝連載時のガロに日本忍法伝という小説を連載しているし、その挿絵は白土三平の妹の岡本颯子だからである。

また、小島剛夕カムイ伝から離れたと思われる頃から、佐々木守との作品を多数発表している。

以前書いた、どさん娘ラーメンの看板の元ネタ「シャクシャイン」という作品も上記の小山春夫と佐々木守の作品である。

カムイ伝は元はその名が示すようにアイヌの世界へと話が広がる予定だったという説もあり、白土三平朝鮮人とのかかわりは深いが、私の知る限りアイヌについて言及したことは無く、そこもアイヌについての作品が多い佐々木守の存在を匂わせる

そうはいっても白土作品のスタッフとして佐々木守の名が出てることは無いし、私以外にそんなことを書いてる人もいない。

そもそもネットで白土三平=赤目プロは作画だけでなく脚本家が複数存在しているというのを言ってるのも私くらいだ。

白土三平は私のような人間には想像もできないほどすごい人なのは確かだが、カムイ伝は他の白土作品より突出したスケールの大きさとエンターテイメント性、

脚本や演出の完成度の高さから、とても他の白土作品と同じ人が脚本を書いてるとは思えないし

カムイ伝以外の白土作品の多彩さからしても脚本家が複数いるのは間違いないと思っている。

おそらく佐々木守は白土作品の脚本家の一人であったろう。

1962年のしろばんばの映画がamazonで観れるが、このおぬいばあさん役をやっているのは北林谷栄で、となりのトトロのカンタのおばあちゃんの声をやっている

「だあれかきたんけええい?」というあの声である

1988年のアニメであるトトロでおばあちゃん役の人が、四半世紀前の白黒映画でもおばあちゃん役というのもまたすごい

ちなみにこのしろばんばにはラピュタのドーラの声の初井言榮も出ている

主人公である洪作工作の叔父で校長先生の奥さんだが、セリフは少ない。

1962年の白黒映画でおばちゃん役の人が、四半世紀後の1986年のアニメで、あんな元気なおばちゃん役というのもこれまたすごい

 

それで思い出したが、ガンダムのシャア役の池田秀一は子役時代から1964年の映画「路傍の石」の主役として有名だったそうだが

1986年に放送された「路傍の石」のテレビアニメでは教師役で声を当てている

一種のカメオ出演のようなものだろう

これは気づいてる人は少ないんじゃないかな。wikipedia池田秀一の項にも載っていない

永島慎二の「斑鳩鉄平」という作品に出てくる女性はつげ義春の「沼」に出てくる少女とそっくりだ

検索したら出てくるから私が書くまでもなかったか

つげが永島をまねたんだそうだが、表情やポーズまでそのまんまだ

つげと永島は若いころから親交があったそうでライバル心もあったそうだ

ただミステリアスな少女の魅力と不思議な雰囲気を残すつげの「沼」にくらべて

永島の「斑鳩鉄平」はあまり面白くはない。むりやり白土三平を意識したような時代劇ものだ。

永島慎二は1961年ごろの「漫画残酷物語」が有名で評価が高いが、自分は1968年ごろの絵が好きだ。

作品でいうと「風っこ」とか「小さな世界」の絵は完璧。

それ以前は手塚治虫的なギャグ表現が鼻につくが、このころから1コマ1コマがイラストレーションのような洗練された絵になっていく。

膨大な数の凝ったストーリーで重いテーマのものを描いているが、読むのにちょっと疲れる。

時代がもう少し後なら、つげ義春のように絵や雰囲気だけを見せるような手法もできたろうにもったいない感じがする。