トランスジェンダーというのがたびたび話題になるが、体が男性だが心は女性であるというのは私はおかしいと思う。
なぜなら男性女性というのはそもそも身体的なちがいによる分別である。
その人がそう思うのは勝手だし、否定する気も差別する気もないが、
少なくともトイレや更衣室や浴場などは身体的な男性女性で分けてるのであって、心がどうかにかかわらず身体的な性に依るべきだ。
スポーツも身体的な能力に差があるから男性女性で分けてるのであって、心がどうかは関係ない。
心がどうであろうが身体的な性で分ければ何の問題も起きないはず。
なぜそんな議論が起きるのかすら疑問である。
たとえばメロンのような味がするスイカがあったとしてもそれはスイカだ。
スイカとメロンは植物分類学上の形や性質で分けてるのであって味で分けてるのではない。
いくらメロンの味がするからと言ってメロンに入れるべきだと誰が言うだろうか。
体は男性だが心は女性であるというなら、それでいい。そう認めてあげるべきだ。
だからといって、体も女性であることにしてほしいと言うのは違うと思う。