そういう老化によるワガママのことを

親父のこともあって、先日から自分で考えたり、ネットで検索したりしてるんですが、
そういうワガママってのは「抑制が効かなくなる」というのが大きいようですね。
例えばの話ですが、ケーキを半分に切って分けたとしましょう。
どっちかが大きく切れたとしても大人なら気にしないですよね。
だれでも「いや、それくらいどっちでもいいよ」または「大きいほうをあげるよ」
っていうでしょう。でも本当は大きいほうが得なはずですよね。
これは、わずかなケーキの誤差程度の得を取るよりも
「大きい方を取ろうとして意地汚く見られるリスクのほうが大きい」
「大きいほうを相手にあげて喜んでもらうことのほうが嬉しい」
という理性が働くためで、年を取るとこういうのを瞬時に判断する力が劣ってくるらしい。
親父はケーキは食べないので例でして、
実際は私に言ってきたのは、引っ越した家のパソコンやテレビの置く位置のことで
お袋を怒鳴りつけてたのも部屋の棚を何に使うかとか、馬鹿馬鹿しいほどしょうも無いことらしい。
普段は「自分はパソコンなんて滅多にしないし、テレビも興味は無いからどうでもいい」という
「自分は細かいことにはこだわらない」「家族がすきなようにさせて、自分は我慢してやってる」
というスタンスを演じたがるくせに、それならと私や母が、親父が使い安いように気を使って
苦労してやってやったのを、後になってブツブツと文句を言い始める。
「あの時どっちでもいいって言ったじゃん」というと
「ワシはどっちでもいいが、これは客が来たときに困る」とか
わけのわからない屁理屈をこねる。私は屁理屈では人に負けることは無いので
「客が来た時にこうしたい、というのがあるなら、それは『どっちでもいい』とは言わんだろう」
と理屈で返すと真っ赤になって支離滅裂なことを言う。
「テレビは自分も見たいのでここに置いてくれ」と一言そういえば、
私も母もそのようにやってあげるんだけど、「自分はどっちでもいい」という部分を譲らない。
ケーキの例で言えば、「どっちでもいい」というから気を使って大きいほうを譲ってあげたら
「自分は小さいほうがよかったのに」と文句を言われるようなもので、防ぎようが無い。
実際テレビもパソコンも、それほど熱中してるわけじゃなさそうなので
「どっちでもいい」のも全くウソじゃないんだろうけど。
ちょっと「こっちのほうがいい」と思ったことが、
「家族や周りの人の気遣い」とか「いつも自分が演じてる父親像」とか
「しょうも無いことで感情的に大声を出す恥ずかしさ」
を無視して、先に出ちゃうんだと思う。