井伏鱒二の小説ってどんなのだったろうかと思って買った児童向けの文学全集みたいなのに太宰治も載っていて、

走れメロスを読んだら意外に面白かった。

子供のころ教科書で読んだし、アニメも見たことがある気がするが、あれはメロスが友人セリヌンティウスを救うために走る話で、

メロスとセリヌンティウスの友情の物語のように漠然と思っていたが少し違う

メロスは、人を信用することができない王に、自分の正直さを証明するために走ってるのである。

メロスは王の反感をかって既に死刑が決まっているが、妹の結婚式を挙げるために釈放してもらい、そして死刑になるために走って帰ってくる。

苦しい思いをして走って帰っても死刑になるという、その葛藤と戦いながら走ってるわけ。

単に友人を救うために走るという話であれば「期限までに帰ってくれば命は助けてやろう」という話でいいはず。

命を差し出しても自分の正直さ、正直であることの大切さを示すという壮絶なテーマのために、「人を信用できない王」「友人を身代わりに預ける」というシチュエーションが必要だったわけだ。

友情についても、そんな命に係わる自分勝手な約束を王としてしまうメロスを黙って信用するセリヌンティウスの態度に表現されている。

 

井伏鱒二は有名な「山椒魚」「屋根の上のサワン」が載っていたが、どちらもあまり面白くなかった。

ちなみに山椒魚は後年、作者本人によって終盤がカットされたのだそうで、私が子供のころ読んだエンディングではなかった。

「遥拝隊長」というのはさらに意味不明だった。

教育関係者は子供にこんなのを読ませてどうしたいのだろうか。

 

もともと何かで白土三平井伏鱒二の影響があるというのを読んだ気がするので

読んだんだけど、あまり共通点は見いだせなかった。

つげ義春は「山椒魚」というタイトルそのままのリスペクトと思われる作品があるが。

むしろ太宰の走れメロスのほうに、カムイ伝の小助と苔丸の友情とか自己犠牲の表現に影響を感じる。

苔丸は小助のためなら死ぬこともいとわない表現が何度もあるし、

また苔丸には自分のために命を捨ててもいいという仲間が大勢いるとのセリフがあり、

実際そういうシーンもある。

普通ならリーダーが「あいつらは俺のためなら命を捨てられる」なんてことは実際にそうであっても言ったりできないはず。

苔丸の場合は苔丸自身が仲間のために命を懸けてきたからこそ、このセリフが成り立つし、苔丸というキャラクターがいかにすごい存在であるか表現されている。

こういう白土作品特有の壮絶な自己犠牲の表現はどこから来たのだろう?