数学的なパズルは私は好きだったのだが、ネットで簡単そうなのを見かけても最近頭が鈍っててできなくなってるのを感じる
〇が何個、△が何個あります。みたいなのがもう頭にイメージできない。どっちが何個だったっけって何度も問題を読み直す。
別にパズルができなくなるくらいいが、日常で考えないといけないこと、選択を迫られる状況で、ちゃんと頭が働いていないと思うと怖い。
モンティホール問題という有名な問題がありますが、あれをいっぺん理解しとこうと思って考えたんですが、どこからどう考えればいいのかさっぱりわからなかった。
ああいうの子供のころから得意だったはずなんですがね。


モンティホール問題というのは何かというと
ABCというドアがある、一つは当たりで賞金が隠されている。
回答者はAと答えたとする。
ここで司会者はBのドアを開けてみせる。
「Bははずれですよ。なんだったら最初選んだドアを変えていいですよ。ニヤニヤ」
という。
さて。回答者はドアをCに変えたほうがいいのだろうか?


普通に考えると、Bがはずれと分かったところでAもCも当たる確率は50%だ。変えても同じことだ。
ABCが均等に33.3%づつだったのが、ACの50%づつになっただけである。
当時えらい数学者さんもみなそう思ったそう。
これ、じつはちゃんと確率を計算するとCに変えたほうが有利なのです。
確率については全部のパターンを図にしてるサイトもあるのでそっちを参照されたし。
これがモンティホール問題。
人間の直感と、数学的な「確率」が合わないという問題。
人生でそういう状況があった場合、人間は間違った選択をしてしまうということか。
とちょっと怖くなったんで考えたのです。


これ一番わかりやすいのは
回答者がAを選んだら、司会者が開けて見せるのはBかCです。
司会者は当然答えを知ってるからドアを一つ開けてみせられるのであって
「なぜCではなくBを開けて見せたのか」ということに気づくのが重要です。
もしBが当たりだったら司会者はCを開けてたでしょう。
Cを開けなかったということはCが当たりである確率が少し高くなったと言えます。
もちろんAが当たりである確率もありますが、Aの確率は変化してないです。
ABC均等に33.3%だったのがCの確率が上がったので、AよりもCに変えたほうが有利なわけですね。
人生の選択でそこまで考えられるとは思えませんが、少なくとも数学や確率の計算しなくても不可能ではないようです。


ドアを100個にして考えるとわかりやすい、と説明してるサイトも多いですね。
ドアが100個あり35番目が当たりだったとしましょう。回答者は4番目のドアを選んだとする。
司会者が4番目と35番目以外のドアを開けていく。
回答者は、なぜ司会者が35番目だけ開けないのかとすぐ気づきますね。
まだ4番の可能性もあるので確定ではないが35番目がすごく怪しい。あたりの確率が非常に高いと言えます。
まあこの考え方は回答者からはわかりやすいのであって、この問題を理解するのにわかりやすいとは私は思えないですね。


この問題の怖いところは
私はパズルは好きでも数学はそれほど好きでもないのでちゃんと計算していませんが、
もし確率で計算して「変えても変えなくても同じですよ」と言われればそうかなと思ってしまう。
ドア100個の例の、明らかに変えたほうが有利とわかる場合でも
「計算したら確率は同じですよ。変えたほうがいいと思えるのは気のせいです」
と言われればそう思ってしまうな。
モンティホール問題って実はそういう問題のことかもしれない。