人間、遊びでも仕事でも、退屈しなければ「楽しい」「有意義」だったと思ってしまうもんだ。

と思う。あれはやばい。気をつけたほうがいい。
くだらない無意味なことでもやることがあれば退屈はしない。たぶん脳が「退屈」というストレスから逃れるためにそう錯覚させるんだろう。
何百時間も掛けて解くようなRPGゲームなんか特ににそうだ。
ゲームは次々と何かが起こるように設定されてるんですからね。退屈してきたころにちゃんと次のイベントが起こる。
そのイベントがくだらないことでも、ユーザーは今までの退屈から自力で脱出したかのような達成感を感じてしまう。
あと、RPGゲームのやばいところは、ふつう現実で退屈するとそれをやめて他のことしますよね。
テレビ見ててたいくつしたら部屋の掃除でもしようかなとか、今のうちに明日の準備でもしようかなとか思うでしょう。
RPGゲームで退屈してるとゲーム内で退屈しのぎにできることはないか探してしまうんですよ。
レベル上げに雑魚退治したり、行ったことない場所に行ったりとかね。あろうことか「その退屈しのぎ探し」がちゃんと退屈しのぎになったりする。
その無駄な作業がまたイベントが起きたときの「無駄な達成感」に相乗効果を与えたりするのやっかいです。
ああなるとかなりやばい。末期です。
仕事でもそういう部分があって、会社になんの役に立ってない無駄なことにヤリガイや責任感を感じてしまってる社員がいますよね。
自分がやってる作業が「無駄なこと」だとは思いたくはないから勝手に価値をつけてしまうんですね。
コイツ頭悪いなとも思うけど、たぶん脳がストレスから逃れるための本能的なものだろう。
そうなると「それは無駄だよ」と教えても認めないだろう。たぶん怒るか大きくショックを受けるだろう。
天才バカボンで「忙しい、忙しい」といいいながら工場内を走り回ってるだけのキャラが出てきましたし
パタリロでもタクシー運転手が「忙しい、忙しい、忙しくて客を乗せてるヒマがない」というネタがありました。
そうなってしまうのはまあ仕事を与える側の責任ですがね。
とはいえ、会社や組織だとすべての作業が何の役に立ってるのかをすべての社員に把握させてから作業させることは難しい部分もあるので
その「無駄なことでもやりがいをかんじてしまう」心理が役に立ってる場合もあります。
しごとによってはそういう「歯車」的な人材がほしい場合もあるし「歯車」的な仕事をしたいという人もいるだろうし。
私がこういうこと書いても「歯車」にたいして「自我に目覚めろ」といっているようなもので余計なことなのかもしれない。
まあ難しいですね。